「うちのパートさんは、社会保険に入らないように働く時間を調整している」。そんな会社は少なくありません。ところが2025年6月に成立した年金制度改正法によって、その前提が数年かけて大きく変わります。この記事では、いわゆる「106万円の壁」の撤廃と、パート・アルバイトの社会保険加入をめぐる「企業規模要件」の段階的な撤廃について、何が・いつ変わるのか、そしてそれが会社の「お金」にどう効いてくるのかを、リスクファイナンス(リスクへの財務的な備え)の視点で整理します。答えを出すのは経営者ご自身ですが、考えるための足場をお渡しします。

そもそも「106万円の壁」とは何か

「年収の壁」とは、パートなどで働く方の収入がある基準を超えると社会保険料の負担が生じ、手取りが減るために、あえて働く時間を抑える(就業調整する)ときの収入のラインを指します。現在、パート・アルバイトなど短時間労働者が社会保険(厚生年金保険・健康保険)の強制加入対象となるのは、原則として次の要件をすべて満たす場合です。①勤務先の厚生年金保険の被保険者数が51人以上(従業員50人超)、②週の所定労働時間が20時間以上、③所定内賃金が月額8.8万円(年収換算で約106万円)以上、④2か月を超えて雇用される見込みがある、⑤原則として学生ではない――の5つです(51人未満でも、労使の合意で任意に適用を広げている事業所もあります)。このうち③をめぐる収入のラインが、いわゆる「106万円の壁」です(厚生労働省・日本年金機構)。なお、通常の労働者の所定労働時間・所定労働日数のいずれも4分の3以上働く方は、この短時間労働者向けの要件とは別に、以前から加入対象です。

なお、この8.8万円という基準は「所定内賃金」で判断され、残業代や賞与、通勤手当などは含めずに計算する点に注意が必要です。細かな該当判定は個々の労働条件によりますので、実務では社会保険労務士など専門家に確認するのが確実です。

改正で「何が・いつ」変わるのか

2025年(令和7年)の年金制度改正法は、5月16日に国会へ提出され、衆議院で修正のうえ6月13日に成立しました。ポイントは大きく二つです(厚生労働省)。

一つ目は賃金要件の撤廃です。月額8.8万円(年収約106万円)以上という賃金要件は、全国の最低賃金の引き上げ状況を見極めたうえで、令和7(2025)年6月から3年以内に廃止される予定です。厚生労働省は、この撤廃の時期を令和8(2026)年10月と案内しています。これにより、いわゆる「106万円の壁」はなくなる方向です。なお、ここで撤廃されるのは短時間労働者の社会保険加入に関する月額8.8万円の賃金要件であり、健康保険の被扶養者認定に関する、いわゆる「130万円の壁」とは別の制度です。両者を混同しないよう注意が必要です。

二つ目は企業規模要件の段階的な撤廃です。現在は「従業員51人以上(厚生年金の被保険者数で判断)」の企業が対象ですが、これを約10年かけて段階的に広げ、最終的には撤廃します。厚生労働省が示すスケジュールは次のとおりです。

  • 従業員36人以上の企業 ―― 2027年10月から対象
  • 従業員21人以上の企業 ―― 2029年10月から対象
  • 従業員11人以上の企業 ―― 2032年10月から対象
  • 従業員10人以下の企業 ―― 2035年10月から対象

ここで注意したいのは、賃金要件と企業規模要件が撤廃された後も、加入の判断が「週20時間以上か」だけになるわけではない、という点です。週の所定労働時間が20時間以上であることに加え、2か月を超えて雇用される見込みがあること、原則として学生ではないことなどの要件は引き続き残ります。とはいえ、いまは対象外の小規模な会社であっても、いずれ短時間労働者の社会保険加入が視野に入ってくる、という大きな流れは変わりません。

なお、ここまでの企業規模のスケジュールは、勤務先が社会保険の「適用事業所」であることが前提です。法人は原則として従業員数にかかわらず適用事業所ですが、個人事業所には別のルールがあります。今回の改正では、2029年10月から、常時5人以上を使用する個人事業所が業種を問わず原則として適用対象になります(従来は農業・飲食・宿泊などが「非適用業種」でした)。ただし、施行時点ですでにある非適用業種の事業所は、当分の間は対象外とされています(厚生労働省)。個人事業で人を雇っている場合は、この点も合わせて確認しておきたいところです。

なぜこれが「お金」の問題なのか

従業員が社会保険に加入すると、健康保険料や厚生年金保険料などの負担が会社にも生じます。これらの保険料は、原則として実際の給与そのものではなく、給与を一定の等級に区分した「標準報酬月額」や、賞与にもとづく「標準賞与額」を基礎に計算されます。厚生年金保険料率は労使合計18.3%で、会社負担はその半分の9.15%です。健康保険料率は加入する健康保険や都道府県によって異なり、原則として労使で折半します(協会けんぽの場合、折半後でおおむね5%前後)。さらに、2026年4月からは新たに子ども・子育て支援金(2026年度は0.23%、原則として労使折半)が健康保険料に上乗せして徴収され、これとは別に、従来からある子ども・子育て拠出金(0.36%)を会社が全額負担します。介護保険料の対象となる40歳から64歳の従業員であれば、介護保険料の会社負担分も加わります。これらを合わせると、会社が負担する社会保険料は、その従業員の標準報酬月額などのおおむね15%前後になる、というのが一つの目安です(実際の率は加入する保険や地域、年齢によって変わります)。

たとえば月給10万円の短時間労働者が新たに加入すると、会社の追加負担は月におよそ1.5万円、年間で約18万円という規模感になります。人数が増えれば、金額はその分だけ積み上がります(あくまで概算で、正確な額は個別に計算が必要です)。

パート比率が高く、小規模な事業所が多い沖縄・離島の地域では、この改正の影響は決して小さくありません。加えて最低賃金は近年上昇が続いており、賃金要件の撤廃と合わせて、継続的な人件費負担が数年かけてじわりと重くなっていく可能性があります。突然の災害のような「まさかのリスク」とは違い、これは時期も方向もあらかじめ分かっている、予測できるコスト増です。だからこそ、慌てず計画的に備えられる論点だと言えます。

リスクファイナンスの視点で整理する

リスクファイナンスの中心は、リスクを保険などで外に移す「①移転」と、自社の資金で受け止める「②保有」の二つです。これに、そもそもの負担や発生を抑える「③軽減」(厳密には保険等の財務的手法ではなく、リスクコントロールの領域)を組み合わせて考えるのが実務の基本です。今回のような制度改正によるコスト増は、保険で移すことができない性質のものなので、②保有と③軽減が中心になります。

②保有の面では、「いつ・何人が・いくら増えるのか」を早めに試算し、増える負担を手元資金や利益計画のなかにあらかじめ織り込んでおくことが第一歩です。自社の規模なら適用拡大が本格的に効いてくるのは何年後か、逆算して資金繰り表に反映しておくと、あわてずに済みます。

③軽減の面では、負担そのものを賢く抑える工夫が考えられます。国は「年収の壁」対策として、労働者を新たに社会保険へ加入させ、あわせて収入増加の取り組みを行った事業主を支援する助成金を用意しています。キャリアアップ助成金の「短時間労働者労働時間延長支援コース」(2025年7月開始)では、要件を満たせば労働者1人あたり最大75万円(小規模事業主の場合、1年目50万円+2年目25万円)が助成されます(厚生労働省。ここでいう「小規模事業主」は常時雇用する労働者が30人以下の事業主を指すこの助成金独自の区分で、中小企業は最大60万円など、区分により金額は異なります)。負担増を、従業員の労働時間延長や賃上げ、生産性の向上と結び付けて考えるという発想です。ただし助成金は要件や期限が細かく、原則として社会保険の加入日の前日までにキャリアアップ計画書を提出しておく必要があるなど、加入後ではなく「事前の準備」が欠かせません。申請してから受け取るまで時間もかかります。使えるかどうかは自社の状況によりますので、活用を検討する際は早めに労働局や社会保険労務士に確認してください。

なお、社会保険への加入は会社にとって負担であると同時に、働く人にとっては将来の年金の増額や、病気・ケガの際の傷病手当金といった保障が手厚くなるという面もあります。人手不足のなかで人材を確保する、という視点も忘れずに、コストと処遇の両面から考えたいところです。

自社で書き出してみる3つの問い

  1. 自社の企業規模要件上の従業員数は何人か(同一法人の全事業所を合算し、短時間労働者を除く厚生年金保険の被保険者数で確認する)。スケジュールに当てはめると、いつ適用対象になりそうか。
  2. 現在、社会保険に入っていない短時間労働者は何人いて、全員が加入した場合、会社の追加負担は年間いくらになりそうか(概算でよいので書き出してみる)。
  3. その負担増を、手元資金・価格・生産性・助成金のどれで受け止めるか。使えそうな助成金はあるか。

まとめ

「106万円の壁」の撤廃と企業規模要件の段階的な撤廃は、いま対象外の小さな会社にも、数年かけて確実に近づいてきます。これは避けようのない制度変更ですが、時期も方向も分かっている以上、早めに試算して資金計画に織り込み、使える助成金があれば活用する、という順序で準備すれば十分に対応できる論点です。壁がなくなること自体は、働く人にとってはメリットにもなり得ます。数字を一度書き出してみることが、その第一歩になります。

参考資料

  • 厚生労働省「『年収の壁』への対応」 https://www.mhlw.go.jp/stf/taiou_001_00002.html
  • 厚生労働省「年金制度改正法が成立しました」 https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000147284_00017.html
  • 厚生労働省「社会保険適用拡大 特設サイト」 https://www.mhlw.go.jp/tekiyoukakudai/
  • 日本年金機構「短時間労働者に対する健康保険・厚生年金保険の適用の拡大」 https://www.nenkin.go.jp/service/kounen/tekiyo/jigyosho/tanjikan.html
  • 厚生労働省「キャリアアップ助成金(短時間労働者労働時間延長支援コース)」 https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/part_haken/jigyounushi/career.html

本記事は一般的な情報提供であり、個別の保険契約・税務判断・資金繰り・投資判断等を助言するものではありません。実際の判断は、自社の状況に応じて、保険会社・保険代理店・保険仲立人・社会保険労務士・税理士等の専門家にご相談ください。

当研究所では、こうした制度改正が自社の資金繰りやリスクへの備えにどう影響するかを一緒に整理するお手伝いをしています。初回のご相談は無料です。石垣島から、全国どこの経営者の方ともオンラインでお話しできます。